このタレコミ文はひどい

時間がないので,セクションわけもできませんし,まとめていない雑文です.

http://slashdot.jp/articles/09/01/27/1427228.shtml

ニンテンドー DS脳トレ効果は、紙と鉛筆と大差なし

ある Anonymous Coward 曰く、

仏レンヌ大学で認知心理学教授をつとめる Alain Lieury は「ニンテンドー DS は優れた技術の結晶であり、ゲームとしては大変楽しい。だが科学的なテストであると主張するのはインチキだ。」として、「脳を鍛える大人の DS トレーニング」のようないわゆる「脳トレ」ゲームの効能に異論を唱えている (Times Online の記事より) 。

教授の行った実験によると、10 歳の子供たち 67 名を 4 つのグループに分け、最初の 2 つのグループに対して 7 週間の記憶力コースをプレイさせ、3 つめのグループには紙と鉛筆を用いたパズルを解かせ、4 つめのグループには普通に学校に行かせた。この試行の前後で子供たちには論理テスト、記憶力テスト、計算テスト、記号の説明問題が課せられ、その前後の結果を比較した。その結果、計算問題では DS グループで 19 % の向上が見られたが、紙と鉛筆グループも、学校に行ったグループもほぼ同じ向上が見られた。記憶力テストでは DS グループは 17 % 低下、紙と鉛筆グループは 33 % 向上。論理テストでは DS グループおよび紙と鉛筆グループが 10 % の向上を示したが、学校に行ったグループは 20 % の向上を示した。

この結果について Lieury 教授は「いくつかポジティブな効果が見られるが、弱い効果に過ぎない」とし、「脳トレ」の監修者である川島隆太教授は「世間に数多くいる dream merchant (夢売人) の一人に過ぎない」と述べている。

何がひどいかというと,論旨と日本語の文法がめちゃめちゃ(に見える).このタレコミ者はたれ込む前に自分の文章を読み返したのでしょうか? こうはなりたくないものだな.
タイトルを見る限りだと,「ニンテンドーDS脳トレソフトで勉強しても,紙と鉛筆でがりがり勉強しても,効果に差がない」と主張しているように見えます.言い換えれば,「ニンテンドーDSでも,紙と鉛筆で勉強するのと同等の効果を得られる」と主張しているわけです.しかし,タレコミ文中に,「記憶力テストでは DS グループは 17 % 低下」とあります.大差があるじゃないですか.
しかし,つっこみどころ満載で楽しげな文章ですね.たとえば,「記憶力テストでは DS グループは 17 % 低下」にしても,何がどう低下したのか全くかかれておりません.タレコミ者は元の記事を正しく理解しているのだろうとは思いますが,この文章は論理的に意味の通った要約になっていません.

論旨から離れて,文法に言及しますと,タレコミ文には,主語+述語という形になってい(るように見え)ない部分があります.

仏レンヌ大学で認知心理学教授をつとめる Alain Lieury は「ニンテンドー DS は優れた技術の結晶であり、ゲームとしては大変楽しい。だが科学的なテストであると主張するのはインチキだ。」として、「脳を鍛える大人の DS トレーニング」のようないわゆる「脳トレ」ゲームの効能に異論を唱えている。

この文章は一見すると,主語と述語の関係が非常にわかりにくい.おそらく,「Alain Lieuryは異論を唱えている」なのだろうが,とてもではないが初見でその意味をとらえられない(少なくとも私は).
私だったらこう書く.といっても,文の順序を入れ替えて,つないだだけなのだが.(時間もありませんので.)

仏レンヌ大学で認知心理学教授をつとめる Alain Lieury は 「脳を鍛える大人の DS トレーニング」のようないわゆる「脳トレ」ゲームの効能に異論を唱えている。氏の主張はこうだ.「ニンテンドー DS は優れた技術の結晶であり、ゲームとしては大変楽しいが,科学的なテストであると主張するのはインチキではないか。」 (Times Online の記事より)

それと,一番いただけないのが以下の一文.

この結果について Lieury 教授は「いくつかポジティブな効果が見られるが、弱い効果に過ぎない」とし、「脳トレ」の監修者である川島隆太教授は「世間に数多くいる dream merchant (夢売人) の一人に過ぎない」と述べている。

私は,「Lieury教授は〜と主張した」,「川島教授は(誰かに対して)夢売人の一人に過ぎないと述べた」と解釈しましたので,意味がわからなくなりました.

本タレコミ文は,記述している内容はよく理解できているにもかかわらず,大変頭の悪い文章となってしまった好例といえましょう.個人の日記であればこれでもよいかもしれませんが,第三者に読んでもらうことを前提としている文章であるなら,もう少し推敲していただきたいものです.
この手のタレコミ文に対する攻撃はslashdot内でもよくあるのですが,そのたびに「元記事を読めばわかる」と主張される方がおられます.しかし,それはタレコミ文に記述されたことより より深い議論の際に必要な作業なのであって,タレコミ文を理解できないときは明らかにタレコミ者の責任なのです.