書くか,書かないか,迷いましたが,書くことにしましょう.
このエントリは,今後癌宣告を受けるかも知れない嫁を見ている僕の現時点の内心をまとめたものです.
今後,状況に応じて様々に心変わりをするであろう僕に,そもそもどう思っていたか,考えていたかを思い起こさせるためのメモでもあります.
承前
僕は31歳,嫁は36歳.昨年である2013年の3月1日(id:Hie:20130301#1362124800)に入籍し,12月8日に結婚式を挙げました(id:Hie:20131209#1386593896).
嫁は,13年年末に会社で受けた健康診断にて胸部レントゲンに異常所見あり,14年2月に精密検査,レントゲン・CT・造影CTを経て,大学病院にて右肺肺門において56mmの腫瘍,肺癌及びそれによる縦隔及びリンパ節への浸潤を疑う所見がなされています.
現時点では,画像による所見でしかないが,2年前のレントゲンに全く異常所見がないにもかかわらず,突然6cm弱の腫瘍が生じたことは尋常でなく,高い確率で肺癌と思われると言われています.
この結果は,一週間前(17日)に受けたものです.24日に気管支鏡による病理的な検査を行い3月上旬に病名確定の予定です.
嫁は19歳〜今年の正月まで喫煙をしており,20本/日のペースで吸っていました.一時期禁煙もしていましたが,結婚式のストレスから喫煙を再開していました.
僕も喫煙者でしたので,特に嫁の喫煙を糾弾することもありませんでした.
これまでの心の動き
1月半ば
嫁から,昨年11月に受けた健康診断の結果が悪く,精密検査を受ける必要があることを聞きました.健康診断は11月に実施されており,その結果は12月中には出ていたものの,結婚式後の疲れ等々からなおざりにしており,僕にも伝えていなかった.
そのときは,「なぜすぐに言わないのか」と叱責はしたものの,早めに精密検査を受けるように伝えただけで,大して心配はしていなかった.
健康診断で胸部レントゲンを受けた人の中から肺癌が見つかるのは数千人に一人ということは知っていましたし,主に40代後半から老人が発症するものという先入観も強く,心配をしていなかったような気がします.
2月8日(土) 精密検査1回目
この日は関東でうん十年ぶりの大雪の日.
土日はぐうたらの嫁が珍しく早起きをして,近所のクリニックに精密検査にいきました.
胸部レントゲンを再度撮影し,またもや異常所見となりました.
クリニックの医師は,月曜日(10日)にCTの準備をするので,再来院するようにと伝えたそうです.
この時点でも,僕は「何だろうね?」くらいにしか思っていなかった.もちろん,ここから,どこかしら気持ち悪さは感じていて,10日(月)は心配事があったら業務中でもかまわないので連絡するようにとは伝えた.
2月10日(月) AM 精密検査2回目
日曜日と建国記念日の中日となった10日,僕は出勤だった.朝から嫁を起こし,出勤した(嫁は自力では起きられないタイプ).
正午前に,嫁から LINE で,CTの検査結果について「やばいかもしれない」と連絡が来た.心配して詳細を聞くも,要領を得ず.
心配したが,とりあえず,同期のUくんと昼食とし「嫁が病気かもしれない」とか話した.
2月10日(月) PM 精密検査3回目
地元のクリニックで午前中に実施したCT検査で大きな腫瘍を見つけ,大学病院を即日紹介されたようで,嫁は日大病院(板橋)へ行っていた.
そこで呼吸器外科を外来し,さらに精密検査を受診していた.
概ね,地元クリニックで検査した内容の再検査だったようだけれど,結果はわからず,このときはじめて「覚悟をした方がいい」と言われたようです.
この連絡を午後3時前あたりに受け,驚いて上長の許可を取って帰宅.
嫁はショックを受けていたけれど,体調は悪くないし,大きな腫瘍があることの実感がなく「?」という感じの方が強かった.
この日から,肺癌についてWebでいろいろと調べるようになった.
なお,このあたりまでは腫瘍のサイズはピンポン球程度と思っており,「結構大きいな」くらいに思っていたけれど,後で倍近くあったことに仰天した.
2月14日(金) 造影CT
同大学病院にて,造影CTを撮影.この日は僕も仕事を休んで付き添った.
造影CTは,血管に造影剤を注入し,より鮮明なCT画像を得ようというもの.
この日も,前の週並の大雪となったけれど,冬山仕様のカローラくん(通称タケシ号)で外来.
撮影だけだったので,特に何事もなく,帰宅.ただ,大学病院はやっぱり健常者から見ると異様なところで,二人揃って良い気分はもちろんしなかった.
2月17日(月) 肺癌の予告
造影CTまでの情報をもととした所見を伺いに大学病院へ.
結論からいうと,56mmの肺腫瘍であり,肺門・リンパ節付近にあることから,縦隔及びリンパ節へ浸潤したステージIIIあたりの肺癌であろうと予告されました.
しかしながら,Webで得た知識を基に,腫瘍マーカーに異常はないこと,肺門型肺癌によくある咳や血痰・微熱などの初期症状がないことを主張しましたが,それを差し引いても明らかな肺癌に見えると反論されました.
また,このときは13年11月時点及び11年末に撮影したレントゲン写真を持参していましたが,11年末(2年前)に撮影したレントゲン写真にまったく問題がないことから,きわめて早く成長している腫瘍で,この観点からも進行性の肺癌であると言われました.想像でしかありませんが,強く転移を疑うことと肺の動脈付近についてしきりに調べていたことから,小細胞癌を疑っているものと思います.腫瘍マーカーについては,もしも腫瘍マーカーに異常があれば,それはそれでいろいろ分かるのにね,とのこと.
その他良性腫瘍の可能性はないかとも訊きましたが,これほどの早さで成長し,肺門に生じる良性腫瘍は一般的にないとのこと.どちらかというと,肺癌でなければより悪性の肉芽腫を疑うくらいだとも.(腫瘍マーカーの話ついでに出ましたので,実はリンパ節を冒す肉芽腫である,サルコイドーシスあたりも疑っていたかも知れません).
この話をしているなか,頭は思ったより冷静です.なぜかというと,ここ数日肺癌かもしれない…という予想をしていたことと,なんだかんだとこんなにピンピンしているのに肺癌だとか,実感がわかないからでしょう.多少の震えはなくはないですが,どこかしら「嘘だろ」という感があります.
嫁と二人して,大きくため息はつくものの,(それほど)大きく落胆することもなく,24日(月)に気管支鏡検査を予約し,帰宅.
今の気持ちとか
いやなものです.気管支鏡検査まで一週間待たされ,その結果が分かるのもさらに一週間以上先.
嫁は,(おそらく腫瘍の影響ではないでしょうが)体調を気にして,胸が痛いような気がするだとか,熱があるような気がするだとか言い,日に日に落ち込んでいく.
僕は,毎朝,嫁が大丈夫かを見てから出社しますが,嫁もおそらくほとんど寝ておらず,憔悴していて,それを見捨てて出社するわけです.(嫁はその後起床し出社している.)
かといって,LINE などで「大丈夫か」と訊くと,それはそれで嫁にとってはストレスのよう.
嫁は職場でも仕事に手が付かず,役に立っていないとさらに落ち込み,さらに帰宅すれば僕と顔を合わせ「今後について」とやらの話をしなくてはならず,やはり気が重い.もちろん,これは僕も同じで,仕事中に突然涙を流すこともしばしば.(幸い,同僚に恵まれていて,すごく配慮してもらっている.感謝.)
嫁との会話の質も変わった.今までは馬鹿話が多かったけれど,やはり基本的には病状の話と将来の話だけになった.
子連れの夫婦を見れば「すごく当たり前なのに,もう手に入らない」とか,終末医療を地元でやるのかどうか,ホスピスにするのか,とかぶっとんだ話まで.
幸いにして,どちらも煙草を吸っていたので,若年で有りながら肺癌となったことにも「あぁ,しょうが無いよね」となっているところは救いかも知れません.(ちなみに,嫁もだけど僕も煙草は吸えなくなった.いま禁煙2週間目だけれど,この顛末はまたいずれエントリを起こす.)
いずれにせよ,本人らの努力では事態を好転させることももはや難しいと思い,無力さに絶望している.生来,僕は絶望なんてしないタイプの人間だと思っていて,何かを諦めても代わりの何かを掴んでくればいいと思っていた.でも,嫁とか家庭とか人生とか,そういう代わりのないものを諦めた事などないわけで,諦められないものを諦めないといけないとき,本当に人は絶望するんだなぁ…などと妙に客観的に思ったりもする.
今の気持ちから今後の気持ちへ
今,一番書きたいこと.
僕は思いっきり理系だ.迷信だとかジンクスだとかは全く信じない.だから,「○○で癌が治る!」(○○はアヤシゲな療法とかを適当に入れてください)だとかそういうのは一切信じない.お守りとかゲンとかも信じないし,世の中は確率でしかなく,本人の努力でその確率分布を少し変えられるくらいでしかないと思ってる.
だから,嫁から「やっぱり肺癌かな?」ときかれれば,これまでの結果と医師のコメントから類推して「肺癌の確率が高い」と返事してきた.理系の人だったら及第点をくれるくらいの,論拠をもった回答(推論)していると思う.
僕は元々研究職だったし,今は開発職だけど,やっぱり研究という分野からそんなに離れていない位置で働いていきたいと思っている.だから,嫁にはこんな回答をくれてやっている.
しかし,おそらく来週以降はこういった回答はしなくなるだろうと思う.
確かに,食事療法だとかそういうので癌が治ったりするのは考えにくい.しかしながら,本屋の医療のコーナーでは,実に半分以上がそういうアヤシゲな本ばかり.つまり,いざ「あなた多分死にますよ」という言葉を投げかけられた人が,そういう言葉にすがっているんだと思う.こういうアヤシゲな言葉にすがっている人も,そういう病気にかかる前は「ないないwww」くらいに思ってたんじゃないかな.ここ数日はそういう嘘っぱちな言葉でもいいから「治る」という言葉にすがりたくなっている.そうしないとやっていけない気がしてくるし,僕はともかく嫁は既にそういうアヤシゲな本を買ってきている.
だから,きっと,そう遠くないうちに,僕もそうなる.
もちろん,こういうアヤシゲな本にも一定の意味はあると思っています.プラシーボ効果というわけではないけれど,「きっと治らないから」という気持ちでいれば,食事量が落ち,免疫力低下に繋がるだろうから,ますます悪化の一途となるだろうし,手術をするならその体力を奪うことになる.そういったことを避けるには,嘘でも良いからこういう考えにすがっておくのは悪いことではないと思う.
だから,今後は,ぼくも根拠もなく「きっと治る!」と言うようになると思う.嫁を励ます為もあるけど,ぼくもそろそろそう思わないとやっていけないところまで来ていると感じるから.
今は,まだこういう評論してるけど,外で「○○で癌は治る!」とか言い出したり,この文章を読んでぼく自身が違和感を覚えたなら,すぐにぼく自身が病院に行った方がいいレベルだと思う.
理系な僕の考え方と,家族を思う僕の考え方と,うまくやりくりしていく方法を考えていこうと思う.
そう思って,このメモを作った.
このメモを読んでくれたひとへ
このメモはもともと今後の僕へ今のスタンスを明らかにするために書いたものです.
しかし,きっと同じように苦しんでやってくる人や,僕らを心配して見に来てくれた同僚・友人もおられると思います.
そういった人たちに少しだけ言葉を残しておきます.
大事なひとに重い病気があるかもしれないひとへ
本当に心中お察しいたします.
どうしたら良いのかわからない,どうしようもない,どうしてこうなった,とか色んな思いが駆け巡りますが,やっぱり何も出来ないことにがっかりすることは,僕も今回経験しました.30年かそこらの僕の人生ではありますが,おそらく今後2,30年を入れても人生最大の困難です.
特に病気が確定するまでは,どのような医療方針となるかも全く分からず,五里霧中です.神経をすり減らしいろいろなことを考えます.でも,その答えは病気が確定するまで得ることはありません.
人生を悲観する僕ですが,最近になって流す涙が誰のためのものであるべきか,分かってきた気がします.僕の涙は,僕に向けられるべきではなく,嫁に向けられるべきものです.(もし死別したとして)その後の僕の人生を悲観することによる涙であってはならない,と思っています.そんな涙を流す暇があれば,嫁を大事にしたいと思っています.嫁がいなくなるかもしれないということには,強い不安を覚えています.いなくなったらぼく自身が生きていけないとも思います.ですが,そうであるなら,なおさら嫁を大事にして,一緒にいてやらなければいけないと思います.
僕のことを知るひとへ
真面目に書いたけれど,いつもこんなこと考えているわけではないですよ.一人でいる夜の時ぐらい.なので,病院いけよ!とかいきなり言わないでくださいね〜.
また,なんだかんだと嫁の病気が肺癌と完全に確定したわけではないです.もちろん,第一候補は肺癌でして,その場合は余命宣告レベルなのですが….ですが,ひょっとすると「ビックリするぐらい成長の早い過誤腫(良性腫瘍)」だったとか「サルコイドーシス(肉芽腫の一種で特定疾患ではあるけど死ぬことは希)」でしたwwwだとかあるかもしれません.そうなったときは,ともに,ひとしきり笑ってほしいなぁ,と思っています.もしそうなら,命を(勝手に)張ったネタとして生涯おいしく使えるでしょうしね.…そうなったらいいなぁ.
とりあえず,僕は諦めないことに決めました.