スルー力って必要なの?

世の中にはスルー力検定とやらがあるそうです.今日はスルー力とやらについて思っていることを少し.
世間はエイプリルフールということで,必死になって,ねつ造ネタを考えているのかもしれませんが,元気のない私としましては,妙にまじめな話で手一杯なのです.

スルー力(するーりょく)」とは、インターネット時代に必須とされる、物事をうまくやり過ごしたり、見てみぬふりをするコミュニケーション技術。掲示板やブログ上での不快なレスを読み飛ばすのはもちろん、上司や同僚からの仕事の依頼を何気なくかわすなど、ビジネスからプライベートまで幅広く応用できる。

とまぁ,エイプリルフールネタに引っかかってみましょうということです.さてここから,妙にまじめなはなし.

スルーをする状況になることがあまりありませんので,いまいち実感がないわけですが,スルー力って必要なのか? と思ってしまいます.スルー力がなんなのかがよくわかっていないのですが,つまり,自分にとって不必要,邪魔となる他人の言動を無視するということなんですかね?
しかし,もしそうだとするなら,私はあまりスルー力とは良い言葉ではないと思いますね.
自分にとって不必要な言動というのは自分の主観によってのみ定義されると思うんですよね.そんなスルー力を向上させると,自分の主観のみで突き進んでいくことになり,自分にとっても何の成長も無いと思う.それに,場違いな発言やつまらない意見をうけたならば,スルーせずその事実を相手に理解してもらうことも,一種の貢献ともなりうると思うのですが.考えすぎかな? スルーされる相手も,本気で考えてるかもしれないぞ.人の発言を簡単に蔑ろにすることは許されるのか? とも思います.相手の人格を尊重するなら,私にはそんなことはできないのですけれど.
2ch など,匿名掲示板などではスルー力とやらが必要かもしれませんが,相手の顔の見える世界でスルー力などといっている人間がいたら,私はその人の人柄を信用できないな.
とはいっても,スルー力の定義そのものを間違えているかもしれません.違うよ! というときはこっそり教えてほしいです….

ところで,いわゆる"空気嫁"というやつも,この議論と似てるんじゃないか,などと思っていたり.私も,ネタとして,大河ドラマ 風林火山 に関する日記で,青木大膳空気嫁! などといっていますが,実際に生身のおつきあいのある方に「空気嫁!」と言ったことはありません.(冗談で言ったことくらいはある.)

とまぁ,とりとめもなくダラダラ書いてみましたが,ようするに,私は「スルー力」だの「空気嫁!」などと,当たり前のように生身の関係のある人間に対して発言する人間が嫌いなのです.定義間違えてたら大ちょんぼですが.